2008年7月 9日 (水)

まだ見ぬ、オセアニア そして......

「たった一年で世界を見ようだなんて無謀すぎる。」そう気づいたのは南米in。
練りに練ったこの一年計画。そう!私のエアーチケットの有効期限は一年。
そしてこの時点で私は南米、オセアニアを残していた。
アルゼンチン、ブエノスの宿で一晩きっちり悩みきり、
翌日私は、この上ない潔さでオセアニア行きはあっさりと捨て、
残りの3ヶ月、南米に全力を注ぐ事に決めたのでした。
だってオセアニアは高すぎる!
私のやりたい事と私の財布事情はどうみても不釣合いだったし、
この濃ゆーい南米を流すなんてできなかったしね。
そんなわけで私を乗せた飛行機はシドニーの上空をはぴゅ~っと通り過ぎたのでした。

そして南米を終えた今、FOXくんとの世界一周もどうやらこの辺で終了ということ。
どうにかここまで寝込む事もなく、首絞め強盗にも出くわすこともなく、
FOXくんをここまで失くさなかった事だけでも一安心、一安心。
そしてようやく先送りにしていた難しい宿題にやっとこ取りかかっている次第なのです。
しかも、ここインドで…。
というのも、しょうこりもない私は、帰りを待つ家族を尻目に、
またしてもアジア上空を通り抜け、ここインドに降り立ってしまったのだ。
今、こうして終わってもいない旅のまとめのようなものをダラムサラの霧の中で考えている「私」を、
数ヶ月前の「私自身」も想像していなかったわけで、自分の掌にも収まらないこの流れについて考えてみたりしている。

「旅ってなにものだろうねー。」
そんなことを数百回繰り返しているが正直なところ、まだわかっていない。
というのも、私の中で言葉にできる程、この一年の出来事全てが熟成されていないし、
そういった「答え」を求めるような過ごし方をしていなかったもの!
「ジャッジしない、チョイスしない、とにかく味わえ!」こんな感じに。
日本でぬくぬくと育った頭でっかちの私にとってそれすらハードな事であって、
必死でインプットした色鮮やかな364の珠玉のストーリーの答えは、
私の未来に棚上げしちゃったのである。。
そんなわけで無事一年を過ぎた今、こうして目の前の風景に目をやりながら
あれこれ悶々と考え始めたのだ、ブログのためにね。

霧に包まれたダラムサラ。
目の前にはやせこけた牛が草を食べ、今日も老婆は気だるそうに鞭をふるう。
一時間やそこらじゃ変わらないのんきな景色。
その牛の周りの霧だけがものすごい速さで輪郭を変える。

臭い。暑い。ナマステ。日本人デスカ~?。マニーマニー!。観光客プライス。
匂いが違う!、言葉が違う!文化が違う!人種が違う!
そこを歩けば私は完全な異物であって、そこにどんなに馴染もうがその事実は変わらない。
極寒の地で自分の生身の体温を体感するように、対極にあるものの中で自分の外枠がひりひりと際立つ事がよくわかる。そして私はその「ひりひり感」がなんとも好きなんだなぁ~。

そう!それかもしれないね!
異国の地の原風景の中で私は「自分の在り様」を体感し、確認していたのかもしれないね。
だって日頃、日本で慣れ親しんだものに同化した生活の中で、
果たしてここまでひしひしと身に染みて感じれることができるだろうか。

「旅」 それは大それた響き。
「自分を変えたい?」「長年の夢の実現?」
しかし旅にそんな即効性はないと思うし、果たしてそんな実態があるのかな。
道は続いている、それを辿るだけのこと。
私自身は当初よりそんなに旅に肩入れしていないし、この一年に執着するつもりもない。
けれど、364日知らない原風景に身を置くこと、その行為一つ一つが、
結果的に旅を続ける原動力を作っていたのかもしれない。
いうなれば、旅の精力は使いながら、同時に作っていたのだ。
そういった意味で私の内部はとってもシンプルだったし、
そしてそんな私自身を案外気に入っていたんだろな。

こうしている間に私は次の地を夢想する。
私が南米にいる頃インドを思うとき、
毎度ぽっかり浮かぶひとつのシーンがある。

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2008.10.2 快晴   (日記より)
AM 6:30 ヨガ帰りのいつものチャイ屋にて。
リシュケシュの緑の濃い山道、大音量のマントラが流れ出す。
陽のあたった道に一つの黒い影が転がり落ちる。
マントラに合わせ黒い影は人となり、どうやらダンスを踊っているらしい。
体からスムーズに流れるリズム。
乞食である彼から一流の清清しさを感じてしまう。
こっちを見た!手を振ってきた!
「おいで、おいで。一緒におどろう」
時が止まる……

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P.S 私を無事ここまで送り届けてくれた全てのものに感謝!!

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2008年6月17日 (火)

負から母性へ in chili

「ノストラダムス」と「モアイ」。
一見みると何の関係の無い2つのワードが、
複雑にもつれ合いながら形を変えて、私にこの上ない恐怖感を与えていた時期があった。
それは私がまだ半そで短パンで野原を駆け回っていたころの話。

夏休みの宿題の中に「読書感想文」というものがあった。
この退屈な宿題、数ある推薦本の中から本を一冊読んで、長々と感想を書くというもの。
当時、私は何を考えていたのか何の推薦もない「ノストラダムスの大予言ミステリー」を選んでしまった。
この本の内容はあの大予言の根拠が、イースター島にある未だに解明されていないロンゴロンゴにあるんではないか、
という小学生には大分刺激の強いもの。
まだ未完成なこの時期の少女に、世界の終わりを認識することがどれだけ恐ろしく、
どんなに衝撃的だったか想像がつくはず。
自分の生きている半径1km以外の世界にその恐怖は存在していた!と。
夜、眠る前、目を閉じると無限に広がる闇の中に、本の挿絵で見た異国のモアイ像をオーバーラップさせ、
自分の死期を飲み込むことができずに震えていたものだった。
そして、今となってはモアイ像とは「みぞうち痛くなるようなその恐怖の具現化」になってしまったのだ。

しかし、時は流れ2008年。
大予言も見事にはずれ、こうして今もぬくぬくと生き延びている私は、
ついにそのモアイとご対面できることになった次第。
そして、29歳の私は冷静にモアイを直視することができたのです、
まぁ当たり前ですけどね。

意外にもイースター島のモアイというものは、そのほとんどが未だに倒されたままというのが現状。
したがってあの想像しているような遠くをみつめるモアイは希少であって、
そのほとんどはもろにバランスを崩し、大地に顔面を突っ込んでいるのである。
立ち止まってよーく見てみないと、モアイとわからないくらいに放っとかれてるモアイ。
人々の争いの上、倒され、壊され、そして何年もの間、風雨にさらされ続け、
ただの巨石と化してしまったモアイは滑稽でもあり、愛くるしくもあり、
それは「負の具現化」などではなく、同情してしまいたくなるような悲壮感を漂わせながら、
何の害もなくただただラパヌイをみつめるのであった。
それらと静かに向き合っていると、「Are you hungry?」のCMの原始人CMシリーズを思い出し、
太古の昔のモアイ作りの光景を勝手に想像しながら、
この石に染み込んだ、無数の手垢とか血とかを見つけようとしてみたりして、
自分だけの発見を探してみたくなるのである。

ところで。
ある遺跡(観光地)を見るにあたり、そこの歴史やうんちくを勉強し味わう、それも1つ。
モアイの運搬方法なんかに興味を寄せるのもまた楽しい。
しかし、このモアイ。
とても「体感」しやすいと思うのである。
というのも、まず人がいない。
世界的観光地であるにも関わらずこのイースター、とてもすいている。
幸運であれば、人っ子一人いない丘の上で、巨大モアイを独り占め!なんていう
シチュエーションも可能なのだ。
なので、カメラのファインダーに入ってくる観光客を気にすることもなく思う存分、ほげぇ~っとできる。
そんな無数の人達の想いを見つめてきたモアイのいかついその横顔は、
昔一人くらいは出会っただろう、良い教師が発する母性のようなものと似ているかもしれないなぁ。
やさしいモアイの横顔と地平線に沈む夕日。
意外とロマンティックな私は、こんな島がたいそう気に入ったのでした。

そして日本でもメジャーなこの島!
こんなイースターへ行きたい!と思った方へ一言!
この素朴な島、ヨーロッパ以上に物価が高い。
ここへは是非、小金ではなく大金でどうぞ。
でないとロマンティックな島で、毎日カップラーメンになってしまうよ、私のように。

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2008年6月 9日 (月)

超放任主義 in Bolivia

尻まである三つ編みを山高帽から垂らし、相変わらずキュートな装いのインディヘナが街を闊歩するラパス。
すり鉢状のこの街は標高3650m。街をそぞろ歩くだけで、もう息はハァハァになる。
灰色の街の中心となるメルカドの雑踏にいると、この国の貧しさ、混沌さが身に染みてきて、
数ヶ月前のアジアを思い出さずにはいられない。
かといって、ここボリビアは貧しい国特有の「観光客頼み」の姿勢はめったに見られず、
「勝手に遊んできな~」的放任主義。
それゆえうるさい客引きに足を止められる事もなく、
観光客に無関心なインディヘナを思う存分観察できるのである。

そしてこの姿勢は観光地にも言えることで、自然を相手にしたアトラクションが多いこの国では、
ここでも「勝手にしな~」的精神が息づいているわけである。
例えばそれは、普通ならば観光地というもの「今後もたくさんの観光客に来て頂きたい!」という
姿勢ならば、その地を今以上、より快適に開発するはずである。
例えば、超基本!公衆トイレをつけるとかさ・・・。
しかしそれすらしない。なので「野」という状態を強いられる。
「よそ者の下の世話まで面倒見られるか!」そんなところだろうか。
なので、世界遺産に登録されている観光地の裏には、糞だらけなのである。
まぁいい、これはいい。
しかし安全というか、命に関わる事はきちんとやってほしい。
それは、例えばこういう事。

アンデスの山を自転車で駆け抜けるをいうあるエコツアーに参加した。
しかしこれ、「広がる絶景を横目で見ながらいい感じね~それ。」というような穏やかなモンじゃない。
隣は断崖絶壁!道幅2mもないボコボコの悪事をブレーキもままならないオンボロマウンテンバイクで5時間ぶっ続け。
年に数人死人が出るという危険極まりないこのツアー。
その名も「デスロードツアー」、刺激の強いもの好きの外国人は大うけらしい。
私もトライしてみたが、「死」とかうんぬんよりも、とにかく5時間常軌を逸したガタガタブルブルでけつと腕がイカれてしまった。
きっと落下者はこのブルブルに耐えかね、命のハンドルを手放してしまったのだろう。
込み上げる尿意とブルブルと戦う5時間、やってみる価値はあると思う。
ちなみに私のグループでリタイヤは1人だったが死人は出ていない。
あ、そうそう、安全の話ね。
道の舗装は時間と金がかかる。
それが無理なら、せめて標識を。「この先危険」とか、それくらいはやった方がいい。
これ以上、犠牲者を増やさないためにもね。

万事がこんな感じだから数泊のウユニ塩湖は水なし、電気なしは当たり前。
今回この旅、新記録の風呂なし1週間を記録することができた。
しかし、以前学んだ「不便は幸せを際立たせる」の法則はもちろんここでも有効で、
臭う体の中から、私はかけがえのないものを見つけられた気がする。

そして、ついにこの国で私は初のアマゾン体験をすることができた。
ラパスから18時間、ここでもぼっこぼこな悪路をただただ進み、ブラジルから続くアマゾンへ。
ねぇねぇ、アマゾンってどんなの?
そう、イメージどおり!
川には無数のワニが横たわり、ピンクいるかが優雅に泳ぎ、森には獣が飛び交い、
道にはなまけものが横断し、パンパには巨大アナコンダ。
演出とは思えないアクシデントの数々。
アクシデントの数だけの動物の出会いは、なんとも刺激的で稀な体験。
これは観光客への媚のないボリビアならではの事。
だって3時間、きったないパンパに観光客を放り出し、「はい!アナコンダ探してください」で3時間、
「はい、みつかりませーん!」という不運な人も多々いるらしい。
私はとことん運と有能なガイドに恵まれたわけである。

このボリビアの旅、とにかくやることが多かった。
のんびりここの暮らしに染まっていくというよりも、次から次に現れるアトラクションに身も心も投げてみた。
この旅で人との交感を軸にしてきた私にとって、少々違ったスタイルで旅をすることになったのだ。
他国を思い出すとき、そのとき出会った異国人の顔を思い描く。
しかし、今ボリビアを思い描くとき、今すぐトイレに行きたい頻尿感、アナコンダの重量感、ワニの腹の柔らかさを思い出す。
それだけが良いか悪いかはこの際、置いておこう。
しかし、こんな体験はまたとない。
今の時点でこの国がくれたものを語るまで、まだ消化できていない。
しかし、これからまだまだ続く私の人生、その岐路に立ったとき、
ここで出会った動物たちが私に残したこの感触が、何か生きるヒントをくれるに違いない。
いや、そう信じていたい・・・。そしてそれを待ち望んでいる。

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■旅の出会い
インディヘナとの貴重なショット。しかし撮る段になり、恥ずかしくなって逃げてしまった!
彼らにしては珍しくちょっかいを出してきた人懐っこいウユニのおばちゃんと宿の少年。

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■旅のお供
アドベンチャーには欠かせないFoxfireオレンジハット!
炎天下の下、ボートで4時間!なんて時には、
こいつがいなかったらもうここにはいなかっただろうね、私。

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■デスロード
もうここは雲の上!なので上り坂は空気が薄くて死ぬほどしんどい!
この写真でわかるかしら?断崖絶壁ぶりが。

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■巨大アナコンダ
ガイドのネグロが綱引きのようにパンパから引きずりだしたアナコンダ。
想像していたよりも至って穏やかなアナコンダ。こんな風に巻いてみても
なんの問題もないらしい。

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■なまけもの現る!
ごめんなさい!正面取れなかった!道を横切るなまけものと遭遇。
一番衝撃的な対面であったなぁ~。

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■エルアルトの青空市にて
ここの青空市はラパス最大!ここの地区は特に貧しいらしく、
スリ、引ったくりの宝庫なんだってよ!ちなみに私は20円で
古着のTシャツを購入。

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■ウユニ塩湖
一面広がる塩、塩、塩。残念ながら私が行った時は乾季で水がはってなかったんだけど、雨季のその時期は水に空が反射してまるで
空を飛んでる様なんだって!

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2008年5月14日 (水)

ついに実写化 in peru

あれは確かまだ私が高校生の頃、ある日の世界史の授業での一幕。
大阪弁の西村先生がある男子生徒に教科書を読ませたっけ。
「ー空中都市ーマチュピチュー。」空中都市?!マチュピチュ?!
その二つのかけ離れた言葉の印象。
そのとき眠気を負け、机に突っ伏していた私は飛び起き、急いでそのページをめくる。
「すっげ!ラピュタじゃんか。」

「夢と浪漫ー」言葉にすると少々照れくさいが、ペルーという国はそれらの宝庫だった。
物心ついてから夢想していた手の届かない憧れが、
自分の指差す方向へ行けば、手に入ってしまう21世紀。
それは夢と現実をたやすく行き来してしまう事さえ可能なのだ。
幼い頃から慣れ親しんだアニメがいざ実写化?!例えばそんな感慨である。
そしてその実写が引き起こす、自分のイメージと不一致や想像以上のスペクタクル。
それらを全て内包したこの濃ゆ~いペルーは私を休ませる事を許さなかった。
そしてこれは私の旅日記、というわけであくまで私の主観でとて~も正直に書き連ねてみようと思います。

まずは、かの有名なナスカの地上絵。今はっきりと思い出すのは込み上げる吐き気。
トップガンさながらのハンサムパイロットは調子に乗って、私の乗るセスナを縦や横に大旋回。
三半規管の弱い私は、乗車早々グロッキーしてしまったのです。
そして肝心のナスカの地上絵はね・・・、想像していたよりもずっと小さく、そして薄かった・・・。
しかし、この消え行く地上絵、私の存命中に拝めただけでも御の字。
そしてわかったこと、それは、もう二度とセスナは乗らない・・・。

ハイ!次。バジェスタ島ってご存知ですか?
そこはミニガラパゴスと言われる、動物だけの楽園なんです。
それが!!人間も立ち入れない楽園の実態とは???
鼻をつんざく獣の臭気が辺りに立ち込め、空からは無数の鳥たちが所かまわずフンを垂れ流し。
楽園にお邪魔する人間はそのフンを巧みに避けながら、布で鼻をしっかり押さえ、
ボートから遠巻きに彼らを観察させていただくのです。
人間の存在しない古の時代を、現代に垣間見た気がし、
生まれて初めて、「動物」を「けもの」として認識した貴重な体験でした。

ハイ!次。「コンドルは飛んでいく♪~」でおなじみのカニョンデルコルカ。
それはグランドキャニオンより深い渓谷を野生のコンドルが優雅に飛んでいく、という
「ザ・南米」(←これ私の勝手なイメージですが)を一目見ようと3800mのアンデスの高地へ。
そして肝心なコンドルは・・・。
「ちっちぇぇ!ツバメじゃないの?」と言うくらい私から遠い。
なんと私のバスはコンドルの活動時間から少々遅れ、コンドルは飛び立った後だったらしい。
まぁいい、まぁいい。だって動物園じゃないんだから。
例え遠かろうが小さかろうが、そこにあった空気の肌触りは
いかにもあの大曲が作られたルーツを味わえた気がしたしね~、満足満足。

ハイ!次。プーノ。世界有数のパワースポットとして有名なチチカカ湖がそこにはある。
さすが「世界有数」という大それた冠がつくだけあって、その神秘的な佇まい一見の価値あり。
しかしここで私に大きな何かを残したのは、そこのチチカカ湖上で暮らすインディヘナの人々。
世界各地で沢山の民族を見てきたりもしたが、インディヘナ以上にあそこまで強烈な個性を放っているものはいない気がする。
その時代遅れのピンクハウスさながらのフリフリ衣装に、衣装に似つかずのイカツイ顔もさることながら、
他民族を寄せ付けない「自愛主義」とでもいいましょうか。
観光客はもちろん、誰もが顔を緩ませる天使のような子供がちょっかいをだそうが、
その厳しい顔は決して崩すことなく相手にもしない。かっこよすぎる。
そんな彼女たちにお近づきになれただけでもここへ来た甲斐があったというもの。
彼女たちの歌ってくれたチューリップ(←メロディーもリズムもあっていない。気づいた私が奇跡。)や
見送ってくれた際の熱い握手。まるでそれは大工さんのようなぶ厚い手、あの感触が忘れられない。
正直、チチカカ湖より私はずっと彼女たちの一挙一動をいつまでも見ていたかったぁ。

そしてついに夢のマチュピチュへ。
午前5時、マチュピチュを天から見下ろすため1日400人限定の隣りの山、ワイナピチュ登山へ。
"もう少し整備してくれよ~"と言いたくなる断崖絶壁。年に数人落下するとも言われるこのワイナピチュも
なんなく登頂成功。なんだかんだと山登りには小慣れてきたらしい。
できるだけ人のいないポイントを探し、そこに腰を下ろし、息をついて、ゆっくり見下ろす。
おぉ、マチュピチュ!
目の前に広がるマチュピチュは色鮮やかに太陽を受け、
浮かんだ雲海はマチュピチュの上に形を落として、時間とともに移動していく。
「動画だー!実写だー!」幼稚な感想だが、正直、今私の目の前にあのマチュピチュが
存在していることを呑み込むだけで精一杯だったのだ。
それくらいあれは大それていたのだ、私にとってはね。

今まで何度も各国の名所を見てきた。
がっかりしたこともあったり、感激したこともあった。
しかし、マチュピチュは別格なのである。がっかりも感激も、へったくれもない。
マチュピチュはマチュピチュ以上でも以下でもないと言えばいいのか。
いまこうしてブログを書いている今も、あの時私は夢うつつだった気がしてしまい、
自分の中のふかふかした思いを第三者に言葉で伝えることができないでいるのだ。

夢と浪漫のつまった魅惑の国、ペルー。
ここで過ごした1ヶ月、私はとにかく駆け抜けた、目的地から目的地へと。
到着するその途中の、たくさんのささやかな出来事。
例えば、セスナでの値段交渉で生意気ペルー女との喧嘩や、
ピスコで見た壊滅状態の町(2007に大地震が起きたらしい)、
チバイのトレッキングで出くわしたアルパカの愛くるしさ、
プーノに移動中に出会ったインディヘナ親子の乳臭い匂いや、
マチュピチュの青い芝生での2時間の昼寝。
そんなささやかな、五感で感じた浪漫の風は
私に沢山のことを残してくれたなぁ~、

とブログを書いてる今、たった今、気づきました!!

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■これぞ南米!カニョン・デル・コルカ 

このトレッキングは辛かった~。高山病どころじゃなく、
とにかく早いガイドのペースについていくのが精一杯!

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■バジェスタ島 

この匂いを届けられないことが悔しい!ここにいるのは主に
名の知れない鳥たちやペンギン、シーライオンたち。

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■なんてかわいいアルパカくん 

偶然にも!ラッキーにも!トレッキング中に遭遇。結構でかいのに
うさぎのような身のこなし。足みて!足!かわいい~。

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■濃~いインディヘナの皆様 
インディヘナというのは女性社会。男の影は非常に薄く、
家事に仕事に子育てに外界に繰り出すのはみな女。
だから彼女らはたくましい。

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■ワイナピチュからの マチュピチュ  
こおやってみると本当に山の尾根に作られている遺跡と
いうのがすごくわかるでしょう?

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■旅の出会い 
ピスコの安宿の本当に素敵な夫妻。大地震に襲われ、自宅も半壊状態なのに
悲壮感というものをまったく感じさせない心豊かな夫妻だったなぁ。

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■旅のお供 
夜明けのマチュピチュとともにFOXくん。
後ろのマチュピチュが絵葉書のようで、この場にFOXくんがいることが不思議で夢みたい!

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2008年4月14日 (月)

悪魔ののどぶえ in Argentina

第一に「南米は全く英語が通じません。」第二に「南米危険!気をつけましょう。」
これは南米についての通説。
最初の一歩、「HOLA~!」なんて陽気なふりをしつつ、内心かなりびびっていた。

ここはブエノスアイレス。噂に聞く程、オリエンタルでもなく、ラテンでもなく、
そこはまるでヨーロッパ。美しい街並みと白い肌の露出の多い男女。
ここしばらくイスラム諸国にいた私は、裸同然の男女が街の至る所で
ぶちゅぶちゅといちゃつく様子に、いささか戸惑いつつ、
開放的、そしてクールなこの空気に「なんだ、この街、スキだらけじゃん。」なんて
思わずにはいられない。
まだとらえようのない南米という全体像、細部の見えないブエノスアイレス。
とりあえずタンゴなんか見たりしつつ、ここが肌になじむまで居てみるしかない。
こおした過程で少しずつイスラム一色だった私の内部に、ラテンの色が染み込んでいく。

二階建てのセミカマといわれる豪華バスに乗り18時間で、プエルトイグアス。
ここまでくるとやはり暑い。もう秋口とはいえ、南国の粘りつく湿気と突き刺す太陽光。
安宿では、浮かれたイスラエル人たちが、朝から晩までプールに浸かり、酒を飲み、大騒ぎ。
そこには国立公園という生真面目さは微塵もなく、ヤシの木に囲まれたリゾートだ。
久しぶりの開放感な空気にあおられ、私も水着を着用し、すぐさまイグアスの滝へ向かう。

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イグアスの滝。アルゼンチン、ブラジル、パラグアイに跨るドでかい世界最大の滝。
そうはいってもこの公園、その目当ての滝を拝ませて頂けるまで、滝以外にも結構楽しませてもらえる。
時にはトレイン、時にはトレイル、そしてそこに咲き乱れる草花に黄色い歓声をあげ、
道を横切るイグアナに大興奮し、水辺に横たわるワニを見守る。
そう、ここはあのディズニーランドのアドベンチャーワールドのよう!
ボートごと滝に突っ込み、日本人だったらきっと怒り出すであろう水の量を
全身にかぶり、バカ騒ぎする外国人同様、私も大いに浮かれ騒いでいた。
そう、あの悪魔ののどぶえを見るまではー。

悪魔ののどぶえ。なんてすごい名前。
いかつすぎる。そして、つけた本人に会ってみたい。
ここはイグアスの滝のハイライト。どんなものかその時は想像もできず、
このパンチのあるネーミングに適うものが見れる!それだけで胸は高鳴った。
川の上のトレイルをひたすら進み、轟々と鳴り響く何ものかの元へと急ぐ。
直前にくるまで、その「のどぶえ」を直視しない様、注意深く進む。

さぁ、悪魔ののどぶえ!どんな感じ??!!

ものすごく凄まじい、地球単位の破壊的な「動」、いや超、激、動!
私の視界の範囲では収まりきれず、目の前が「動」一色になる。
大量の水が落下するその様子は、もはや液体ではない、無数の固体となって砕け散る。

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小さなものを見ると安心し、大きなものを見ると不安になる。
静を見ると心安らぎ、動を見ると心急く。
「大きな動」を見ているだけで、心揺さぶられる。
この世界は人間単位できていない、
この超メガトン級の人間の手の及ばない地球単位で、
事が進んでることを自覚させられ、いっそう、
この逆らえない、あがらえない動きに負かされてしまいたい、
そんなM心をだしてしまう心境。

皆そんな事を感じているのかいないのか、
今までバカ騒ぎをしていた外国人も、口をぽかんと開け、立ち尽くしてしまうわけだ。

「大きな動」。何かが変わる、そんな気にさせてくれちゃう、たかが滝。
悪魔ののどぶえ?なんてナイスなネーミング!
当初はなぜここに負のネーミングをつけたのか疑問であったが、
この激しい、見る者を攻撃してくるような佇まい、
これは間違いなく人を幸せにしてくれる類のものではない。
自然遺産の中でもド胆を抜く一品、おすすめです!

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■旅の出会い
なんと67歳現役バックパッカー!ブエノスのレストランで知り合い、3時間位話し込んでしまった。孫とも言える私とも普通に話せる若い感覚に驚き!日本にこんなスーパーおじいちゃん増えればいいのにな。

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■旅のお供
すっかりアウトドアでおなじみのFOXくんと世界遺産イグアスの滝。
滝の水でぐっしょぐしょだが、ものすごい炎天下で濡れた体も超速乾!

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ブエノスの休日風景
昼間からあっちもこっちもイチャイチャ、、、。しかし、仲良いことはよい事。
しかし、外でこんなだったら、二人きりになっちゃったら
どんな事になってしまうんだろうと、いらぬ想像をしてしまう。

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本場のアルゼンチンタンゴ
かなり高度!これを踊る南米女とは到底太刀打ちはできない、、、
そんな風に負けを認めたく迫力。この他、歌やフォルクローレ

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2008年4月 7日 (月)

極上のほほ~ん in Paraguai

アルゼンチン、プエルトイグアスから一路、パラグアイのシウダーデルエステへ。
国境からまもなくのエステのバスターミナルへ降り立って見ると、
アルゼンチンの華やかさはどこへやら、この空気の変わりように驚く。
バスターミナルにたむろする地元民の顔は一様に暗く、顔には疲労の色が濃い。
地元民の空気ひとつでこの国の状況までよくわかる。
「私の懐にお金はないぞ~!」と財布を懐に隠し、ソロソロとおんぼろバスを探す。
「キロメトロ クアレンタ イ ドス=42km地点!」
お目当てはバスターミナルから42km地点にある日本人移住区、
そう、戦後まもなく遠いこの国に夢を持って移住してきた日系人に会いに行こう!
こんな趣旨で私はパラグアイまでやってきたのです。

一時間以上バスを待ち、定額の倍以上ボラれながらも、ようやく42km地点まで辿り着く。
だだっ広い赤土広がる広野に荷物ごとバスから降ろされ、
あまりにも予想と違った日本の風景に、「間違って降ろされたんじゃねーの?」とオロオロする。
だってそこは日本の「に」の字もない、あくまで見慣れない外国だったから。
片っぱしから地元のパラグアイ人に聞きまくり、慣れないスパニッシュの単語を頼りに、
やっとこ宿泊先のペンションにたどりつく。
そしてようやく、パラグアイであって、パラグアイでない純日本ライフが始まったのである。

今まで、さぁ観光、さぁ移動を繰り返していた私にとって、
ある一定の場所での日常生活は10ヶ月ぶりのこと。
そして一週間余り、こんな日々を繰り返してみる。

1 起床
2 食事材料の買出しに農協へ
  (曜日ごとに目玉商品があり、これを村の住人はこぞって買いに行く、そして私もそれに混じる EX:もち 海産物など)
3 朝、昼一緒の食事を自炊(主にメニューは純日本食)
4 日中は暑くて動けず宿で一人遊び(宿の犬をかまう、読書、など)
5 日が傾くと行動開始(和太鼓見学、釣り、移住区住民との触れ合い、など)
6 自炊(これもまた日本食)
7 同宿の旅人と遊ぶ(卓球、及びカラオケバー、など)そして、就寝

そしてここで生活するに当たり、ただ一つ大事なことがある。
それは「礼節を重んじること」である。
というのも、ここ移住区は戦後間もない頃のあの古き良き日本の世代の方々が、
大事に手塩にかけて築いた場所。
そこに21世紀の歪んだ日本の若者が風紀を乱すことはしてはならない。
従って、街角で出会う際には、もちろん大声で挨拶をし、
どこか訪れる際は自分の持っている最高の一張羅を身につける。
破れたズボンなど御法度である。

ここでの慎ましやかな生活を送るにつれ、私の目線も少しずつ変化を見せた。
この旅の中で、いつも私が追っていたものは「価値観の変わるような刺激」であった。
故に、きっと自分の見るものも無意識に選んでいただろうし、見逃してしまったものはきっと沢山あったであろう。
しかし、ここにいるとそんな刺激がない分、自分の目に映るものが、全て均一に、平坦に飛び込んでくる。
庭で遊ぶ犬たちも、目の前に飛び交ううざいハエも、思わず振り返ってしまういい男さえも、
同等の価値を持って同じ質量で飛び込んでくるのだ。
毎日のささやかな暮らしの一コマを取りこぼさずにすくえる気がしてくる。

以前、よく考えていた事、
自分は狩猟民族的人間なのか、それとも農耕民族的人間なのか。
これの答えが出たら、もっと生き方楽なんじゃない?なんて安易なことを思っていた。

戦後まもなく夢を追い、富を求めてやってきた移住者のみなさんは、きっと前者の方だろう。
しかし、苦労の末に築いたこの社会で、穏やかな時間の中、慎ましい毎日を積み重ねる事に
幸せを見出す生き方は後者のような気がするのだ。
どうやら二者択一じゃない、人間、順応していくらしい。
「何かが足りない。」結局そう思っているくらいは、ただの欲求不満なのかもしれないね。

お世話になった園田さんが言っていたこと。
「移住史は語れない。なぜならここにいる人数だけの移住史があって、皆それぞれ違うんだよ。
それをひとくくりに説明なんてできないんだよ。」
そう言っている園田さんの顔は、ツヤツヤし、とてもいい顔をしてらした。
人生なんて十人十色、
そんなあったり前なこと気づかされた平和で穏やかな
極上のほほん、パラグアイの日々でした。

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■旅の出会い
お世話になった宿の園田家のみゆきさんとお母さん。
まるで日本女子の鏡のような親切な人たち。
手作りかりんとうおいしかったです!

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■旅のお供
赤土にまみれたFoxくん。数か月ぶりにお洗濯。洗濯機にぽいっと
入れても全く問題ない、手のかからない出来のいい子!

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農協への道
この道を通り、毎日農協へ向かうのが日課。綺麗な青空と赤土のコントラスト。
やはり日本の田舎を思い出すゆるやかな風景。

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イグアス市の和太鼓団体「つつみ」 
つつみの練習風景を見学させて頂きました。
すごい!そもそも獅子舞じたい、20年ぶりにみたし、かなり本格的。
ここは本家日本より日本らしい伝統芸能が根付いています。

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日常のひとコマ
夕暮れは近くの沼で釣りしてました。収穫はなまずとピンコ。
夜はこれらをから揚げに。

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イグアスの森にて植樹
本当にたくさんの方々にお世話になり、これはささやかな恩返し。
環境破壊の進むイグアスの森に2本植えてきました。
数十年後、でかくなったこの木に会いにきたいなぁ

~パラグアイからアルゼンチンに移動です。

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2008年4月 1日 (火)

壁超えられず・・・in Spain

スペイン滞在時間わずか39時間。
あのガウディ、ピカソの国へたったの39時間!?
しかし後悔はしていない。
たとえあのサクラダファミリアが見れずとも、ゲルニカが見れずとも。
だって私は全力を尽くした、精一杯。
しかし、それ以上にスペインの壁が高すぎただけなのだ。
そして、今回のスペイン編はその「壁」について書こうと思う。

そう、始まりはカイロ。あの頃から悲劇は始まっていたのだった。
当初カイロ→バルセロナに飛ぶはずだったエア-、
見所の多いバルセロナ観光はエジプトの次の予定だった。
しかし、そんな事あってよいのか!イ○リア航空!
「その便は現在運行しておりません」なんてしれっと言う。
あらかじめこのチケットを買っていた私は、
「代替え便」を求めて、カイロの街をさんざタライ回しされたあげく、
カイロ→マドリッドに変更されてしまう理不尽な話。
まぁ、長い旅路それくらいはしょうがない、それではバルセロナは後に回しましょうと、
私はマドリッドからその日中に、モロッコのあるジブラルタル海峡を目指したのでした。

モロッコに渡った後、私はまだイ○リア航空と戦わなければならない事があった。
1.マラケシュ→マドリッド
2.マドリッド→ブエノスアイレス
上記2つの航空券の予約を電話で済ませる事。そしてこれがまぁ、大変!!
一日中電話BOXに張り付き状態。何故なら何度電話すれども応答せず、
ランチに行っているのか、おしゃべりにしているのか、日に3回出れば御の字である。
次に、言葉の問題。スパニッシュやらフレンチやらで英語がしゃべれる人が出るまで
タライ回し。そしてやっとこ話が通じた!と思えば今度はFAX送れ!送れば届いてない、
届けば読めない。このきかんぼうの子供の様なやり取りを担当者を変えつつ、ほぼ1ヶ月の間、毎日繰り返す。
電話口には次々とお金は投入され、私の貴重な観光時間は削られていく毎日。
しかも一番イタイのは重要な解決できない問題を抱えているため、
砂漠の絶景に心ときめかせていても、頭の片隅で「あぁ、イ○リア航空…」みたいな
感じに心に不安が巣食うのである。
もっとゆっくり回るはずだったモロッコ横断もこの問題のおかげでせっせと急ぎ足で回る。
何故なら電話の最後に奴等は「マラケシュ空港のオフィスへ行け!」と言ったから。
「あぁ行ってやる、行って解決するなら行ってやる」そんな意気込みでマラケシュへ向かう。

マラケシュについて早々、空港へ。ってないじゃないか!オフィスなんて!!
空港職員にも「そんなんないよ。」と冷たくあしらわれ、泣き付けば、
あっちへ行け、こっちへ行けと今度はマラケシュの街をタライ回し。
そして上記模様を繰り返すのである。
金と足と少しの媚びの笑顔をつぎ込んだあげく、奴等の最終兵器の
「マドリッドオフィスに行きな。」を出された頃には、
幼い頃に見た千代の富士引退会見の、涙ながらに語った
「体力の限界っ!!」という台詞が頭をこだましていた。

最終的には捨てる神あれば拾う神あり。
偶然知り合った、仏の様な地元モロッカンのおっちゃんに泣き付き、
彼の神のような助けを得て(ここにも沢山のドラマがあるが書ききれず省略、
彼にはアッラ-の御加護があるでしょう。)、なし崩し的に手にした
この便に飛び乗り、私はスペインには降りず、ブエノスアイレスにいる次第です。
以下、スペインマドリッドのトランジットの際のやりとり

アヤ…あの~、ここに滞在したいんで今夜の便を変更したいんですが…。
イ○リア…では、こっちに行って、あっちに行って、、、でもできるかどうかはわかりませんけどね~。

悲劇の再来が頭をよぎる。
この件で学んだ事、それは大人って平気で嘘をつくもんな~。
今までこの9ヶ月いろんな事がありました。よい事も悪い事もね。
しかしこの1ヶ月余りの間、1つの問題にこんなにも真剣に全力を傾け、
それでもなお、実を結ばない事は初めての事であり、
私はこんな形で世界の大きさを知ったのです。
そしてその理不尽の壁を越えられず、南米にいる次第。
しかし、今でもはっきり言える。私がスペインに降り立った時、
私の観光体力は残されていなかったと。
こんな理不尽あるのかって?あるんです。
負けていいのかって?時には疲れちゃう、だって人間だもん。

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■旅の出会い
正直この39時間では素敵な出会いはない…。強いてあげるなら、唯一顔を合わせて話したマドリッド空港のイ○リア職員。至って無表情。

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■旅のお供
マドリッド空港にて夕日に照らされたさみしいFOXくん。
でも確実にここはスペイン。

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空港の一角で 
唯一のスペイン観光、まるで美術館のような装い、それは空港で。
ピカソだろうか。少しの間、ここで佇んでみる、、、。

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空港から夕焼け
少しさみしい。ちょうどトランジットで待ってる間、真正面に沈んだ太陽。
空港というのが味気ないが、味わい深いマドリッドの町に沈む太陽。

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あ~、ぐったり
ブエノス行きが決定直後の疲労困憊ぶり。
しかしこんな思い出、これはこれで旅の一部なのですね。

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2008年3月19日 (水)

アンビリーバボー in Morroc

スペインのアルヘシラスからフェリーでモロッコの港町タンジェへ。
フェズの迷路のようなメディナに滞在したのち、このモロッコの最大の目的、サハラ砂漠へ。

サハラ砂漠ー。そこでは「音のない世界」が体験できるらしい。
よく考えてみてください、生まれてこのかた、そんな世界を体験した事ありますか?
少なくとも私はない。そしてその体験はきっと「もし私が空を飛べたなら…」以上に、
刺激的で、現実離れした、この世のものではない体験を味あわせてくれることでしょう。
だからモロッコの果て、アルジェリア国境がほんの目先のサハラ砂漠くんだりまで
足をのばすことにしたのです。

サハラ砂漠に近い町、メルズーガからラクダのお迎え。
私はラッキーにも、このキャラバンのボス、その名はスマイリー君にあたることに。
むき出す歯茎が愛らしい、それでいてどのラクダをも凌ぐでかさで、
このキャラバンの先頭を歩ける運のよさ。
早速、スマイリー君にまたがり、いざメルズーガを出発。
そしてはじめにラクダについて。
ラクダに乗ったのはもちろん初めて。ちなみにスマイリー君はひとこぶラクダ。
したがって、むりやりこぶの上に備え付けられた簡易いすにまたがり、
手足の長いラクダのストロークに合わせて揺さぶられる。
坂道なんて大変だ。その美しい絶景にカメラなんて向けようものなら、
3Mもあるラクダの背中から落下の危険が伴う。
ひと時も油断ならない。
やっと今宵のノマド(遊牧民)の家に到着したころには、手はしびれ、
またいだ内モモはじりじりと摩擦熱を帯びていた。
したがって、乗り心地は、、、、、まずまずだ。

そして砂漠について。
私はここへ来る前にフライングでエジプトの砂漠へ行ってしまっていた。
エジプトも十分美しかったため、「あぁ、サハラを凌いだらどうしよう!」
なんて行ったことを後悔したものだった。
しかしそれはいらぬ心配。やはりサハラは規模が違う。
意外に砂漠にも「果て」がしっかりあったものの、その美しさといったらない。
そもそも「自然の美しさ」とは「自然」なものでなくてはならない。
決して人の目なんか気にしてはならないし、当然そのために整えられたりしてはいけない。
あるがままの姿が「勝手に遠方から来た観光客」の目に美しく映るものだ。
しかし、このサハラ砂漠、美しいと言われる事を期待しているんじゃないかと思ってしまうほどに美しい。
というのは、もし自然を神が創ったというならば、この砂漠には、それをプロデュースした神以外の存在がいて、
その「自然のあるがままの姿」のがさつな部分をすっかり取り除いてしまったかのよう。
その小高い稜線の作る曲線具合といい、これはアートですよ。
この大作にスマイリーの足跡が遠慮なくつけられていく様子に、
「あぁもったいない!」なんて舌打ちしつつ、キャラバン一行はどこまでも進むのであった。

そして2晩目の夜。私は実にアンビリーバボーな夜を体験する。
満点の星空の下、布団に包まりスマイリーたちと眠る。
どれくらい流れ星を数えていただろう、そんなことでふと我に返ると、
私の体の外側、そう、輪郭の感覚といえばよいのだろうか、それがなくなっている事に気がついた。
手や足の末端感覚がよくわからなくなり、しかし視覚だけがギョロギョロと正常に動いていた。
うーん、自然の大地の中に私の目だけがポコンと浮いているといったイメージだ。
わかっていただけるだろうか。
最初はこの摩訶不思議な感覚にそわそわしたものの、
次第にそれは味わい深く私になじんでいったのです。
これは決して大げさな霊的体験でもなく、
おそらく自分、いや、人間と自然が「同化」した瞬間だったのだと今は解釈している。
本来人間にもその感覚は備わっていたはず。
私は余分なものを身につけすぎて、鈍感になっていたに違いない。
そしてここに暮らすノマドの民たちはきっとこの感覚は当然のことであろうな。

…で、音のない世界のほうね。もちろんそこにはなかったよ。
だって私の隣にはスマイリー一行が居座り、彼らが絶えず、げっぷとかしてたからね。
でもここにきて「音のない世界」以上に素晴らしい体験を頂いた。
それは「私も自然の一部」ということを体で感じれたのだからね!

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■旅のお供
ラクダに担がれ揺さぶられるfoxくん。このころ摂氏25度くらいかなぁ。
しかし何も遮る物がないと日差しがほんとに痛い。foxくんもヨレヨレです。

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■旅の出会い
ノマドの親子。この家族すっごくいい気を出してて幸せそうだったなぁ。
昼間砂漠で何もすることがないときは、よく遊んでもらいました!

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ラクダキャラバン一行
私たちは人間4人とラクダ4頭+ラクダ番1人。
きちんとこの例を崩さずつらなって賢いらくだたち。
こうやって大昔から働いてきたんだなぁ。

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スマイリーくん
なんか愛らしいね。ラクダは本来なまけもので働きたくないんだって。
だから鼻に穴を空けられてそこをグイグイ引っ張られて仕事するらしい。
それ聞くとほんとに感謝しちゃうよね。

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フェズのスーク
スークで迷ったのは一回だけ。モロッコはメディナが観光地であっても、
そこに地元の人々の生活が根付いててそこにお邪魔しま~す!感覚で楽しい。

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マラケシュのフナ広場
ここにある「音」がとにかくすごい!聞かせられないことが残念。
今まで見たどの広場よりもエネルギッシュで強烈でスリ多し!!

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2008年3月 4日 (火)

おあずけですかぁ? in Egypt

今、このブログをモロッコで書いている次第。
正直、何を書いていいやら迷うばかりで数日過ぎてしまっている。
モロッコでも見るべきものが沢山ある中、こうもこの国ばかりに時間を
費やしていられないのにペンが思うように進まないのである。
それだけエジプトにいた一ヶ月弱の滞在は、
沢山のものを一度にお腹につめこみすぎて消化不良をおこしているらしい。
もしこの国にピラミッドがなかったとしても、余裕でブログ一本書ける位の濃さである。
この国は大変味わい深い。
愉快な地元民、おいしい食事、カフェや水タバコと沢山の顔を持った街並み…。
それに加え、エジプトといえば…??
そう!ピラミッド!スフィンクッス!ミイラ!ツタンカーメン!アブシンベル!ナイル川!
観光地だけ挙げてみても、世界トップクラスの大物ばかり!
さぁ、どうしよう、何を書こう。
やっぱり王道の観光についてにしょうかな。

さて、観光に関しては貧乏な私も、時間と金を惜しまず上から下まで有名所を網羅。
しかもプラスアルファ、ギザと王家の谷には2度ずつ足を運ぶ、熱の入れようだ。
これも完全に日本で見たTVの影響といっていい。
TVで作られたあの古代ロマンの姿を追い求めたのである。

しかしそう簡単にうまくいくはずがない。これはインドのガンジス川しかり、学んだはずである。
ここは世界中の小金を持ったカモが集まる観光地。
むろん、その小金目当てに、がめついエジプシャンがうようよしている。
いくらピラミッドを見たくてそれらにピンを合わせてみても、
それ以上の近さでフレームインしてくるエジプシャンたち。
彼らは口々に「バクシーシ!」、または「1円でも多く、こいつらからボッてやる!」的セールストークを
浴びせてくるため、観光体力の10%は削がれるのである。
だからといって残りの90%をイライラに変えたわけでもなく、
今回の私は、わりに彼らに愛を持って接していた気がする。
そのボリ方のどこかに愛嬌を見出し、彼らがこうなってしまったプロセスを想像してみたりした。
たちの悪い輩(去り際に罵声を浴びせてくるなど)は例外として、
多くの観光客にもみにもまれ、すりにすれたエジプシャンも、
最後の去り際には人間らしい茶目っ気を見せるのであって、
そんな彼らをみているのもオツなもんなのである。

そして、彼らをもっと観察していたかったし、その後ろにそびえるピラミッドも眺めていたかったし、
その背後に広がるロマンも想像していたかった。
しかし、もうすぐビザが切れる。
要するに、またもや時間が足りなかったのである、一ヶ月やそこらでは…。

1つ、それらを象徴するよい事例がある。
これは王家の谷を訪れた際の話。
入場料+エキストラマニーを支払いツタンカーメンの墓へと下りた。
湿った地下道を歩き、たどり着いた玄室。
そこにはガラスに収まったあのツタンカーメンのミイラが横たわる。
周囲は相変わらず物凄い騒音。思わず耳をふさぐ。
目以外の4感を意識的に閉じ、想像のロマンを開きかけるまで静止10分。
「さぁ、準備は万端よ!」
すると、、、、、、
トン、トン、誰かが私の肩をたたく。振り向くとそこにはー、
アラファト議長そっくりないでたちのエジプシャンが。
「もう時間だよ、さっさと出な!もっといたけりゃ、バクシーシね。」

「なんなんだよ!たのむよ!そっとしといてよ!」
そんな願いもむなしく外へ出される。
もう少し、もう少しだったのに…。
そんなこんなで万事がこの調子。
したがって、私はまだエジプトをおいしく頂いてないのである。
じらしじらされ、おあずけなのである。

日本へ帰ったらお勉強をしよう。
エジプトについては、私も少し準備する必要がある。
「エジプト文明」というおいしいごちそうを味わうには、
それに見合う上等な舌を持たなくてはあの味を味わいつくせない。

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■旅のお供
ピラミッドとFoxくんの異例な取り合わせ。
一日外出だけですっごく汚れるエジプトは埃と砂の宝庫です。
エジプト脱出したらきれいにしてあげるからね。

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■旅の出会い
カフェのとなり座った名前も知らないおやじさん。
小さな出会いに溢れていたな、ここには訪れた分だけの出会いが待っている。
街角を歩けば皆が「aya !」の声。名前を覚えてもらうことがこんなに有難いとは知らなかったな。

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カイロのカフェにて
アラビックコーヒーと言われる酸味のあるコーヒーとシーシャといわれる水煙草にはまった!
しめてコーヒー30円、シーシャ30円という驚きの安さ!

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カイロの肉スーク
この辺ではさまざまなスークが立ち並ぶ。
特に肉やはかなりエキサイティングで、入場料のいらない観光地のように
見ごたえがある!

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バフレイヤオアシスの黒砂漠
モロッコへたどり着く前に砂漠へ行ってしまいました。
まるで火星(←行ったことないけど)のようじゃないですか?

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カルナック神殿の巨大柱
ルクソールのカルナック神殿。ルクソールは他と比べて見劣りするという
前評もあったが、私はこの街がとても好きでした。

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2008年2月26日 (火)

縁ですなぁ~ in jordan

2008年のトルコでの年越しを終え、1 月2日、私はアンマンにある「コウダホテル」へ向かった。
「コウダ」とは数年前、単身イラクへ渡り、テロ組織に殺害されたあの香田青年の名である。
ここのホテルの名物サーメル氏が、イラクに入る直前の香田青年と時間を共にしており、彼の思うところあって「コウダ」の名をホテルに残したらしい。
私も香田青年のことは今も痛烈に覚えている。
確かあの時、私は世界一周を横目に見ながら、がんがん東京で働いていた。
仕事場のラジオから飛び込んだ日本人青年の拘束のニュースに、彼の若さと単身入国ということからバックパックを背負った青年を思い浮かべた。
自分近しい、というか理由の無い親近感を勝手に抱き、私は友人のような面持ちで彼の無事を祈ったものだった。
殺害の事実を聞いたときも、これも勝手にいわれのない悲しみに襲われ、彼への非難ごうごうだった世間の風潮に逆らい、いち旅行者がイラクへ行こうとした理由をあれこれ考えたものだった。
あれから6年たった今、コウダホテルの香田青年の笑顔の写真の前に立ってみる。
例えここに来ようとも、彼の「理由」や「思い」なんて知れるはずもない。
数年前、私の目の前を通り過ぎた香田さんがまた目の前を通り過ぎる。
ここで会えるなんてあの頃、思いもしなかった。
「縁ですなぁ。」とじんわり思う。
しかし、ここヨルダンの私の目的はコウダホテルで終わらない、ぺトラに行かねば。

アンマンから一時イスラエルへ入り、再びヨルダンのぺトラを目指す。
ジョルダニアンのおっちゃんで満杯のセルビスに揺られ、ついにぺトラの入り口ワディムーサに到着。
イスラエルでは眉間にしわをよせる観光が多かったぶん、ぺトラでは観光に没頭したかった。
前夜から観光の予習として「インディージョーンズ」のDVDを見る気合の入れ様。
そう、ぺトラとはあの誰もが知る若き日のハリソンフォードが戦った場所である。
日本で見たあの幼い頃のドキドキロマンをここぺトラのホテルで思い起こす。
ここでも私の過去と今が確実に交差する。
後ろでは、相変わらずちょっかいを出してくるジョルダニアン。
不思議だなぁ~、だってここは我が家の茶の間じゃない、ヨルダンだもの。
そしてハリソンとともに家畜の匂い漂う毛布に包まり、明日の晴天を祈りつつ、眠りについた。

あくる日、不運にも雨。
そして、そんな感じの不運は4日後まで続き、私はホテルでただただ青い空を待った。
ついに待ちに待った晴天、その日から2日間ぺトラ三昧の日々を送った。
感想からいうと、私のベストオブ遺跡の上位にぺトラは食い込んだ。
私がこうもご贔屓にするのは、ここに流れる時間が私の体内時間とよくあったのだ思う。
そしてそこに暮らすベドウィン達との調和が素敵だった。
彼らの口を開けば「ドンキー1ダーラー」の客引きには辟易するが、そこをさっぴいても彼らのスタイル、そうまるで先鋭メイクアップアーティストが施したと思わせれるアバンギャルドなメイク。
ん~、ジャックスパロウといえばイメージしやすいかも。
今もなおこの21世紀にロバに乗り洞窟で暮らすこの遊牧民たちは今まで見たどの国のオトコよりイカしていた。
この広大なぺトラで夕日を浴び、オレンジに染まる岩窟遺跡を山の上から見ながら、豆のように散らばるカラフルなベドウィンをぼんやり見つめる。
こうして長い間、1点を見つめ自分に入る時間を与えてくれる観光地は正直出会えていない。
どこもせわしく、そして押し付けがましかった。
これほどにこの地に溶けてしまったのはいつ以来だったのだろうかな。

この旅、考えてみえばゆかりのある場所ばかりだった。
私とヨルダン。関係なさそうで実はつながっている点と点。
土曜洋画劇場と香田青年。私が昔交差した点が今こうしてまた結びつく。
ブログを書いている今、私が見ているカイロのこの風景も今後にちらりと姿を現すかもしれない。
そして私はそれを見逃さない様、注意深く生きていたいなぁ。

あ、!!忘れてた!死海ね!確かに浮きました。けれどそれ以上はない。
でもこの死海が、そうね、またご縁があるなら、今後にどう登場するのかそれもまた楽しみ~。

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■旅の出会い
どうだ、この美形。ハンサムベドウィンの代表のようないでたち。
ここに残しておくのはもったいないが、ここだから光るよい男たち。

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■旅のお供
ヨルダンは相変わらず寒い。
このイエローも早く圧縮袋に入れて眠らせたいが、まだまだたよりきりのヨルダンの日々。

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アラブの国 ヨルダン

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ぺトラ 奥の方の風景
ぺトラはインディージョーンズだけじゃない。
奥に行くほど深みがあるといってもいいかも!

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ぺトラ ここぞインディー!
岩窟遺跡の中に入れると思いきや中に入れず!
外からラクダとともに見上げるのみ~。

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ほんとに浮いたの、死海
まるでリゾートのようなおもむきのきれいなビーチ。
お約束の新聞は準備不足でできませんでした、すいません。

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